おしり一個分の日記
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これまでにたぶん数千枚の死体検案書を眺めて、まさに人の屍を踏み越えて飯を食ってるわけなんだけど。
命について一々、立ち止まって考えてるわけもなくて。
この手術は痛そうだなぁ、とか、まだ子供は小さいじゃないか、とか。
奥さん美人だなぁ、とか。
もう、その人は死んでんのに考えたりするわけで。
不謹慎とか言われても、自分にとってみれば、それはただの紙切れなわけで。
とまぁ、へらへら仕事をしているんですが。
先日、友達と同姓同名の人間が死んでて、多少うろたえたんです。
生年月日が違って、別人だって分かったわけですが。
そこで、ふと思ったわけです。
もしこれで、本人だったら、おれは、そのままとりあえず友人の死は置いといて目の前の仕事を続けるのだろうかと。
結論としては続けるのだろうけど。
そのときの感情ってのは、一体どんなものなんだろうか。
と、ふと考えたものです。
それも紙でしかないのだけれど。
紙よりは少しだけ厚みがありそうだなぁ。
命について一々、立ち止まって考えてるわけもなくて。
この手術は痛そうだなぁ、とか、まだ子供は小さいじゃないか、とか。
奥さん美人だなぁ、とか。
もう、その人は死んでんのに考えたりするわけで。
不謹慎とか言われても、自分にとってみれば、それはただの紙切れなわけで。
とまぁ、へらへら仕事をしているんですが。
先日、友達と同姓同名の人間が死んでて、多少うろたえたんです。
生年月日が違って、別人だって分かったわけですが。
そこで、ふと思ったわけです。
もしこれで、本人だったら、おれは、そのままとりあえず友人の死は置いといて目の前の仕事を続けるのだろうかと。
結論としては続けるのだろうけど。
そのときの感情ってのは、一体どんなものなんだろうか。
と、ふと考えたものです。
それも紙でしかないのだけれど。
紙よりは少しだけ厚みがありそうだなぁ。
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